何年か前に見たドキュメンタリー映画で
とても記憶に残っているシーンがある。
そのドキュメンタリー映画は
アフリカの貧困街を取材するものだった。
カメラを持ち
取材をする人に向かって
現地のアフリカの人はこうポツリと言った。
・
「君たちはいつも
こうやって我々を撮りにくる。
その映像をテレビで観る人たちは
夜ご飯の余ったステーキをゴミに捨てながら
”食べ物がなくて可哀想に”
そうつぶやくだけだ」
・
取材していたのは確かアメリカ人だったと思う。
アメリカ人がどんな気持ちで、どんな目的で
実際にアフリカに足を運んで
取材に行っていたかは分からない。
でももしわたしが取材をしている
アメリカ人だとしたら
どんな気持ちで取材をしていようと
何も返す言葉がなかったと思う。
今でもこのシーンが忘れられず
「世界では途上国の食糧不足の問題や
世界中で食糧危機が迫っている!」
「人口が増えすぎていることが問題だ!」
「支援のお金を送ろう!」
こんな話をTVで聞くたびに
アフリカの人の一言を思い出す。
一方で、先進国ではフードロス問題が
大きな課題となっている。
食糧が足りずに困っている国があるなかで
食糧が余っている国もある…
食糧危機
食糧不足
本当に途上国の人口が増えていることが問題?
途上国にお金を送れ1ば解決?
法律でフードロスを取り締まれば解決?
私たちが変えるべきところは
そんな表面的なことではない気がする。
一番変えるべきは私たちの
「食べ物に対する意識」なんじゃないかなって。
食べ物があるというありがたみを
もっと感じられる人が増えれば行動も変わると思う。
その食べ物への意識を変えていくために
日本の「いただきます」の文化を伝えたい。
日本には昔から続く独特の文化がある。
私たちは食事に手をつける前に必ず
手を合わせて頭を下げながら
「いただきます」と言う。
手を合わせるのは
自分が食事をするために関わった全ての人に
感謝を捧げるため。
今で言うなら
作物を育ててくれた農家さんや
それを運んでくれた運転手さん、
販売してくれたお店の人などに…
そして、目の前の命に対して
「いただきます」と言う。
「いただきます」は
「もらう」や「受け取る」という意味。
日本では昔からすべての動物や植物に
命や魂が宿っていると考えてられていて
その命をいただいて
自分の命に代えさせて
もらっていることへの感謝の気持ちを
毎回食事の時に
「いただきますと」口にすることで
表現している。
そして米粒一粒一粒に神様が宿っていると考えられていて、
茶碗に米粒を残さないようにお家で教育される。
これらのことは、学校で習うわけでも
宗教の本で習うわけでもなく
法律で決まっているわけでもない。
暮らしている日々の中で
自然と身につけていく。
日本では当たり前の行為すぎて
日本人でも意味を理解していなかったり
ただこなしているだけの人も多いかもしれないけど
色々な国を旅して日本に帰ってきた時
「いただきます」の文化は素晴らしいものだなと
感じることができた。
今日も食事の前に私は
静かに目を閉じて手をあわせる。
関わってくれた人たち、
そして目の前の命に対して
「いただきます」と。