コロナが明けて3年ぶりに海外に出て
今はインドに住んでいる。
インドに滞在し始めて3日目くらいの時、
家を貸してくれている40代のインド人が
生活には慣れたか?って聞きに家にやってきた。
その家には名前のわからない
たくさんのインドの神様の像や写真があって
彼は一つひとつ指差しながら説明してくれた。
そしてしばらく会話をした後、
テーブルに腰掛けて
私の目をまっすぐ見つめて聞いてきた。
「もかは何を信じてるんだ?」
「・・・」
すぐに答えない私を見て、
英語の意味がわかってないと思った彼は
すぐに身振り手振りで十字架を作ったり、
両手を合わせたり、ひざまづくポーズをした。
「キリストかブッダか?
お祈りはどこでするんだ?
教会か?モスクか?」
「・・・日本人は
神社というところに行って手を合わせるよ」
私の答えを聞いた彼は
少し納得した顔になってうなずいた。
「そうか!そこでは
何の神様の像にお祈りをしてるんだ?
聖書とかを読んだりするのか?」
「・・・いや神様の像もないし、
読むものもないよ」
背の高い彼は太い眉毛をこめかみに寄せて
また困惑した顔になったが、
ちょうどそこで彼に電話がかかってきて
その話は終わった。
ほとんどの日本人は海外に行くと、
皆が宗教や神様の話を
当たり前にしていることにまずびっくりする。
そして私が海外に行くたびに感じるのが、
独特な日本人と宗教の関係。
世界の色んな地域を回ったけれど、
日本人の宗教感は他のどの国にもないものだと感じる。
もしあなたが外国人に
「あなたは何を信じている?」
と聞かれたらなんと答えるだろう。
そもそも日本では
こういう宗教とか神様の話は
怪しくてタブーみたいになっているし、
何か特定の宗教を
信じ込んでいない人も多いから、
なんだか自分とは関係のない話みたいに
なっているかもしれない。
でも「本当に何も全く信じていないか?」
って聞かれると、そういうわけでもないと思う。
じゃあ日本人は何を信じているのか。
日本人が共通して
大切に信じている“何か”があると
海外に出るたびにすごく感じる。
その部分をどうにか私の言葉で説明してみる。
日本人は昔から
「米粒には神様が宿っているから
残してはいけない」とか
「土地の神様にご挨拶をしに行こう」とか
そういうことを当たり前の常識として
食べ物や土地、自然の前で頭を下げて
手を合わせて暮らしてきた。
何か特別な神様の像に拝むわけでもなく、
そうしなさいと書かれた
分厚い経典があるわけでもない。
誰か特別な預言者がいるわけでもない。
でも、あの木にも、その家にも、
食べ物にも、土地にも、人間にも、
自然から生まれたものすべてに
全部神様が宿っている。
知らず知らずのうちに
そんな風に私たちは信じていて、
周りに存在するものに
感謝しながら暮らしている。
そしてそう信じているから
無意識に皆、当たり前に
頭を下げたり、手を合わせる。
他人に挨拶する時も深く頭を下げたり、
食べ物をいただくときは
「いただきます」をしたり、
感謝する時もその人や場所に向かって
手をあわせて拝む。
何に向かって感謝しているのかと聞かれたら、
上手く言語化できないと思うけど、
日本人は、昔から身の回りのいろんなものや、
自分の体や命、住む場所もすべて
自然からのいただいたものだと考えて
周りにある全ての自然を神様として捉えてきた。
その背景には日本人が、
国土の80%以上が森林におおわれている
世界の中でも有数の豊かな自然の中で
何万年も暮らしてきたことがあると思う。
だから生きているだけで
常に自然の恵みを感じて
その感謝を表現する文化が育まれてきた。
海外に行くとこれが
全く常識ではないことに初めて気づくけれど、
日本で暮らしていると
もう当たり前のことすぎて
信じるとか疑うとかもない。
それが私の思う、
最も多くの日本人が“知らないうちに” 信仰している
「神道」というものの説明。
神道は日本人の生活や価値観に溶け込みすぎていて
誰にも「教」わらずとも
日本人であれば自然と
その「道」を生きるものなんだと思う。
だから何が神道なのかも
もはやわからなくなっているし
それを信じていることすら
ほとんどの日本人は忘れている。
それは言葉にも表れていて
キリスト教や仏教、イスラム教など一般的な宗教は
「教」という漢字を使うけど
神道は「道」という漢字を使う。
だから海外に出て初めて
日本人は宗教とか神様について
カルチャーショックを受ける。
そして「何を信じているのか?」って聞かれると
とても答えに困る。
ちなみに私の中では
「自分」と答えるのが一番しっくりくる。
私自身が自然そのものだから。
自然から生まれ、生かされ、役目を終えて
土に還る自分の存在も自然の一部。
自然は決して遠くにあるものではなく
自分の中にあるもの。
自分が自然そのものだっていう感覚は
キチンと自然の存在を感じて
自分自身を深く深く見つめれば分かってくる。
もっと言うと、
自然である自分を信じるから
同じく自然からできている
相手や地球のことを大事にできる。
逆に言えば、
自分のことを大事にできていないから
目の前の相手や地球のことを大事にできない。
自分を信じられないから
何かにすがったり、依存したりして安心する…
でもそれは本当の宗教とは
程遠いのではないかと思う。
本当に他人を信じて愛することは
自分を信じて愛すること。
ただそれだけのこと。
なかなか海外では理解されにくいけど
神道をベースにした
独特な価値観の根底にある
日本人と自然の深い関係性をこうして伝えることで
自分自身と周りの世界が
豊かに繋がっていることを
感じられる人が増えたら嬉しいな。